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福清黄檗文化促進会が長楽龍泉寺を訪問
日本福清同郷会 2022年10月21日 20:35
10月20日午後、福清黄檗文化促進会副会長の鄭松波氏は、福清出身の台湾同胞である唐浩鈞氏らとともに長楽龍泉禅寺を訪問し、百丈懐海禅師と黄檗希運禅師の法脈の繋がりや隠元禅師の歴史的足跡を探求しました。
長楽龍泉禅寺では、住持の伝徳法師を代表して道聖法師が福清黄檗文化促進会一行を温かく迎え、禅宗史における同寺の重要な影響や復興の状況について詳細に紹介しました。また、貴重な資料として『龍泉寺志』などを贈呈しました。
「馬祖が叢林を建て、百丈が清規を定める」と言われるように、長楽龍泉禅寺は禅宗の規律である『百丈清規』を制定した百丈懐海禅師が剃髪した場所として知られています。この縁により、龍泉禅寺は国内外で名声を博しました。百丈禅師が生前に創設した「農禅一如」の叢林生活制度は、「一日作さざれば、一日食らわず」という理念を提唱し、中国禅宗の発展に深い影響を与えました。元代になると、この規律は『敕修百丈清規』として修訂され、朝廷によって全国に頒布されました。この規律は現在も守られています。
百丈懐海禅師の著名な弟子には、黄檗希運禅師と沩山霊祐禅師がいます。黄檗希運禅師は弟子の臨済義玄禅師とともに「臨済宗」を創立し、沩山霊祐禅師は弟子の仰山慧寂禅師とともに「沩仰宗」を創立しました。これらは禅宗の「一花五葉」のうちの二派に該当します。隠元禅師は東渡日本前に龍泉禅寺を住持し、日本で「黄檗宗」を創立しました。
龙泉寺历史悠久,始建于南北朝梁承圣三年(公元554年),由远道祖师开山建造,初名西山寺。到了唐懿宗时,相传因为怀海禅师看到井中之龙,便由皇帝赐名龙泉禅寺,与福州鼓山涌泉寺、福清黄檗寺,并称“闽中三大名寺”。
龍泉禅寺は南北朝時代の梁・承聖3年(西暦554年)に創建され、祖師の遠道が開山しました。当初は西山寺と呼ばれていましたが、唐懿宗の時代に懐海禅師が井戸に龍を見たと伝えられ、皇帝から「龍泉禅寺」という名を賜りました。福州鼓山湧泉寺、福清黄檗寺と並び、「閩中三大名寺」と称されています。寺院の規模は壮大で、長楽地域における重要な宗教建築遺産の一つです。歴史的、科学的、芸術的価値が高いとされています。本堂である大雄宝殿には、6メートルの高さ、直径3メートル、重さ約4.5トンの唐代の石柱が16本設置されています。これらは百丈禅師が建立した寺院の遺物です。また、大雄宝殿の背後には元宝に似た巨石があり、中央には「出米仏」という仏像が刻まれています。この仏像の隣には唐代の筆跡とされる「皇帝万歳」という石刻が残っています。