内容説明
『福建僑報』、在日華僑界が長崎孔子廟を支援しコロナ禍の難関を乗り越える活動を報道
日本福清同郷会 2021年06月30日 19:03
『福建僑報』、在日華僑界が長崎孔子廟を支援しコロナ禍の難関を乗り越える活動を報道
長崎孔子廟(資料写真:鄭松波撮影)
最近、『福建僑報』や『福清僑郷報』などのメディアは「在日華僑界が長崎孔子廟を支援しコロナ禍の難関を乗り越える活動」に関する報道を行いました。報道によれば、長崎孔子廟を支援する募金活動が現在、在日華僑界で活発に進められています。 長崎孔子廟はこれまで主に入場料収入によって運営を維持してきましたが、新型コロナウイルス感染症の影響により、最近では収支の赤字が拡大し、運営が困難な状況に直面しています。これを受け、長崎新華僑華人協会、長崎華婦連などの長崎を拠点とする華僑団体が会員に募金を呼びかけるとともに、日本全国の華僑界に支援を訴えました。彼らは「皆さんの助けを借りて、中国文化遺産の保護と継承に貢献しましょう」と呼びかけています。 この提案は全日本華僑華人団体連合会、日本福建経済文化促進会、日本福建経済文化交流会、日中福清工商会、黄檗文化促進会、福岡青年会など、多くの華僑団体から熱烈な支持を受け、各団体が在日華僑に積極的な寄付を呼びかけています。
長崎孔子廟(資料写真:鄭松波撮影)
長崎孔子廟(資料写真:鄭松波撮影)
長崎孔子廟内展示の文物(資料写真:鄭松波撮影)
長崎孔子廟は1893年に建設され、長崎の華僑が各地の郷団による「四大唐寺」に続き、清朝駐長崎領事館の提案の下、各郷団が均等に資金を出し合って建設したものです。この孔子廟は、中国人が国外に建設した唯一の孔子廟であり、100年以上の歴史を誇ります。清朝、民国、新中国を経て、1988年に多方面の努力により正式に登録が変更され、中華人民共和国の資産として登録されました。孔子廟内にある中国歴代博物館では、孔子廟が収蔵している文物に加え、故宮博物院から定期的に提供される貴重な展品も展示されています。その中には国内で公開されたことがない希少な展品もあり、多くの観光客や修学旅行の日本の中小学生に大変人気があります。これにより、中华文化の普及と中日友好交流の促進に重要な役割を果たしています。
注目すべきは、歴史上、日本の福建華僑、特に福清出身の華僑が長崎孔子廟の建設や管理に大きな貢献をしてきたことです。『福清華僑史』によれば、長崎孔子廟は第二次世界大戦中、原爆により破壊されました。戦後、長崎の華僑である陳揚春氏(長崎中華料理「四海楼」創業者・陳平順氏の次男)が主導し、九州の華僑から資金を集めました。6500万日本円で廟跡地の使用権を購入し、2億日本円を費やして復建を実現し、1967年に竣工しました。その後も長崎孔子廟および中国歴代博物館管委会主任はほとんどが福清出身の華僑によって担われており、現在の主任は福清華僑の子孫である潘秀貴氏です。
长崎是日本华侨华人的发祥地,数百年来,来自中国的先民络绎不绝来到长崎,也带来了妈祖、千里眼、顺风耳等中国民间信仰神明,以祈求保佑平安。
長崎は日本における華僑文化の発祥地であり、数世紀にわたり多くの中国人先祖たちが長崎に移住してきました。彼らは媽祖(まそ)、千里眼、順風耳といった中国民間信仰の神々も一緒に持ち込み、平安を祈りました。 長崎は隠元禅師が日本に渡った際の「初登宝地」(最初の上陸地)であり、日本における黄檗文化の起源でもあります。1654年、隠元禅師は長崎の崇福寺や興福寺などの唐人寺院から度重なる招請を受け、福清黄檗山万福寺の住持として弟子たちを率いて厦門から長崎へ渡航しました。隠元禅師は長崎に上陸後、日本各地の寺院で仏教を広める活動を行いました。その期間、仏教の教義を伝えるだけでなく、当時の中国の先進的な文化や科学技術も日本に伝えました。
日中福清工商会は、呼びかけに積極的に応じ、長崎孔子廟と直接連絡を取り合い、寄付金を専用用途として管理しています。皆様から寄せられた寄付金を確実に長崎孔子廟に直接届けることを保証しています!