内容説明
長崎興福寺にて隠元禅師像の除幕式および梵鐘の使用開始式を開催
日本福清同郷会 2021年11月15日 00:35
11月14日、長崎東明山興福寺にて、中国から寄贈された隠元禅師像の除幕式および梵鐘の使用開始式が行われました。この式典には、中村法道長崎県知事、中国駐長崎総領事の張大興氏、日本黄檗宗管長の近藤博道氏、日本一般社団法人黄檗文化促進会理事長の陳熹氏をはじめとする中日双方の来賓が出席しました。また、オンライン形式でも中日両国の関係者が参加しました。
この隠元禅師像は、中国の彫刻家であり中国美術館館長の呉為山氏が、興福寺創建400周年を記念して制作したものです。像は興福寺の入口に永久設置され、訪れる人々が鑑賞できるようになっています。隠元禅師像は総高3.28メートル、重さ438キログラム、素材は銅で作られています。この作品は17世紀の名僧である隠元禅師の姿を生き生きと描写しており、台座には日本の篆刻家である師村妙石氏が「隠元禅師像」と刻んだ文字が添えられています。この彫刻は、中日両国の芸術界が平和協力への願いを込めて完成させた特別な合作です。
さらに、同日に興福寺鐘鼓楼1階に吊るされた「世界和平鐘」も、梵鐘としての役割を開始しました。この鐘は中国福建省から寄贈されたもので、隠元禅師像とともに中日友好の象徴として次世代に引き継がれることが期待されています。興福寺の松尾法道住職は「中国の方々の思いを理解し、平和の実現のために警鐘を鳴らし続けます」と語りました。
興福寺は1620年に建てられた日本最古の唐様建築の寺院であり、中日文化交流の長い歴史を物語っています。元々、明代の貿易商人が海上の安全を祈願するために媽祖廟として創建しました。その後、福建省福清出身の高僧である隠元禅師が日本に渡り、弘法を行った最初の寺院でもあります。寺内には隠元禅師が手書きした扁額や対聯などの遺作が今も保存されています。
1654年、63歳の隠元禅師は長崎興福寺の住職逸然性融と在日華人の招きに応じ、弟子たちを率いて日本に渡りました。長崎に上陸後、興福寺の住職を務めました。その後、皇室や徳川幕府の支援を受けて、京都宇治に臨済宗黄檗派(後に黄檗宗と呼ばれる)を設立しました。黄檗宗は現在、日本の三大禅宗の一つとなっています。
隠元禅師は日本に仏法を広めるだけでなく、中国の思想、建築、彫刻、書道、印刷、絵画、音楽、医学、料理、茶道など、当時の先進的な文化や技術も伝えました。これらは「黄檗文化」と呼ばれ、中日文化交流史において重要な役割を果たしています。
2022年には中日国交正常化50周年を迎えます。中日双方の協力のもと、400年の歴史を持つ興福寺に隠元禅師像が立てられたことは、日本の人々や訪れる観光客に中日交流の歴史を伝えるだけでなく、芸術を通じて人々の心を温め、人文交流を深め、中日間の絆を強める願いが込められています。