内容説明
日中福清商工会および黄檗文化促進会など在日僑団代表が長崎孔子廟を訪問
日本福清同郷会 2021年12月13日 19:31
先日、長崎東明山興福寺で中国側から寄贈された隠元禅師像の除幕式および梵鐘の使用開始式が行われました。この式典には、中村法道長崎県知事、中国駐長崎総領事館の張大興総領事、日本黄檗宗管長の近藤博道氏、日本一般社団法人黄檗文化促進会の理事長であり日中福清商工会名誉会長の陳熹氏など、中日双方の来賓が出席しました。
長崎滞在中、在日僑団代表一行は長崎孔子廟も訪問し、孔子廟責任者の潘秀貴氏らの歓迎を受けました。
今年5月、長崎孔子廟への募金活動が在日僑界で活発に行われました。長崎孔子廟は長年にわたり、入場料収入を主な運営資金としてきましたが、新型コロナウイルスの影響などにより収支赤字が拡大し、運営困難な状況に陥りました。この状況を受けて、長崎華僑華人協会や長崎華婦連などの長崎の僑団が会員に募金を呼びかけるとともに、日本全国の僑界に支援を求める提案を行い、中国文化遺産の保護と継承に貢献するよう訴えました。 この提案は、全日本華僑華人社団聯合会、日本福建経済文化促進会、日本福建経済文化交流会、日中福清商工会、黄檗文化促進会、福岡青年会など、数多くの僑団から熱烈な支持を受け、多くの僑胞が積極的に募金に参加しました。
日中福清商工会はこの提案に積極的に応じ、長崎孔子廟と直接連絡を取り、寄付金を専用用途として長崎孔子廟に届けました。
長崎孔子廟は1893年に建設され、長崎の華僑が各郷団(いわゆる「四大唐寺」)に続き、清王朝駐長崎領事館の提案を受けて、各郷団が均等に資金を拠出して建設したものです。これは海外唯一の中国人によって建設された孔子廟であり、百年以上の歴史を持ちます。清朝、民国、新中国を経て、1988年に各方面の努力により正式に登録変更が行われ、中華人民共和国の資産として登録されました。 孔子廟内にある中国歴代博物館では、孔子廟が所蔵する文物に加え、故宮博物院から定期的に貸し出される展品が展示されています。中には中国国内でも公開されたことのない貴重な品々も含まれており、多くの観光客や日本の中小学生の修学旅行者からも大変な人気を集めています。この博物館は中華文化を広め、中日友好交流を促進する上で重要な役割を果たしています。
特筆すべきは、長崎孔子廟の建設や管理において、日本の福建華僑、特に福清籍の華僑が多大な貢献をしてきたことです。『福清華僑史』によれば、長崎孔子廟は第二次世界大戦中の原爆によって破壊されました。戦後、長崎の福清籍華僑である陳揚春(長崎中華料理「四海楼」の創設者である陳平順の次男)が中心となり、九州在住の華僑から資金を集めました。6500万円で廟跡地の使用権を取得し、2億円をかけて再建を行い、1967年に竣工しました。 以後、長崎孔子廟およびその中国歴代博物館の管委会主任には、ほとんど福清籍の華僑が就任しています。現在の主任である潘秀貴氏も福清籍華僑の子孫です。
長崎は、隠元禅師が日本に渡った際の「最初の上陸地」であり、日本における黄檗文化の発祥地です。1654年、隠元禅師は長崎崇福寺、興福寺などの唐人寺院からの度重なる招請を受け、福清黄檗山万福寺の住持として弟子たちを率い、厦門から長崎へ渡航しました。
隠元禅師は長崎に上陸後、日本各地の寺院で仏法を広めました。その期間、仏教経典だけでなく、中国の先進的な文化や科学技術をも日本にもたらし、日本社会に大きな影響を与えました。
長崎滞在中、訪問団一行は長滝山霊源院なども訪問し、中日黄檗文化の交流と民間友好関係の促進に努めました。