内容説明
日本長崎館、"厦洽会"に登場し、中日友好の歴史を語る
日本福清同郷会 2020年09月21日 12:06
現在、厦門国際会展センターで開催中の2020年厦門国際投資貿易商談会及びシルクロード投資大会に合わせて、日本の長崎館が再度登場しました。長崎と中国との交流の歴史を、隠元禅師、鄭成功、孫中山、梅屋庄吉、遣唐僧空海などの中日歴史的な人物とのつながりを通じて語りかけました。
今回の展示では、長崎館は豊富な観光資源や物産を紹介する図文資料を提供し、特に日本で有名な波佐見焼の精美な陶磁器を展示しました。長崎県の陶器の魅力と価値を完璧に伝えています。
長崎県は日本の最西端に位置し、中国本土に最も近い場所です。豊かな自然景観と温暖な気候、そして美しい風景を誇ります。恵まれた自然資源は豊かな物産を育んでおり、長崎県には数多くの島々があり、天然魚類の種類の多さでは日本一とされています。長崎県は酒造りに必要な良好な環境と水、そして高品質な原材料を有し、古くからの酒造りの秘訣を守りながら、作られる清酒は芳醇で美味です。その中でも壱岐焼酎は世界的に有名な産品とされています。さらに、長崎文明堂のケーキ、五島うどん、醤油などは消費者に広く愛される特産品です。
長崎と福建の友好交流の歴史は長いもので、長崎は黄檗文化が日本に伝わる起点でもあります。明末清初、福建福清の黄檗山万福寺住職である隠元禅師は、長崎の興福寺などの「唐人寺」や華僑信者から何度も招かれ、厦門を出発し、鄭成功が提供した大船で日本に渡り、最初に長崎に到着して3年間住んだ後、京都に移り、徳川幕府の将軍から尊敬され、日本皇室から京都宇治の土地を贈られ、新しい寺を建設しました。隠元禅師は故郷を懐かし、新しい寺にも「黄檗山万福寺」と名付け、黄檗宗を創設しました。
隠元禅師の東渡は、仏教経典の伝授だけでなく、思想、建築、彫刻、絵画、書道、篆刻、印刷、音楽、言語、文学、食文化、茶道、漢方、医学など、さまざまな中国文化を日本に伝え、日本の経済社会の発展に深い影響を与えました。この文化は日本で「黄檗文化」と呼ばれています。
「厦洽会」に参加した長崎県貿易協会上海代表処所長の黒川恵司郎氏は、長崎は隠元禅師が日本に初めて渡った「聖地」として、隠元禅師の故郷である福建と人文交流や観光交流を通じて、経済貿易協力を強化していきたいと述べました。
長崎は中国と一衣帯水の友好地域であり、古くから遣唐使の出発地として、また近代では日中貿易の繁栄した港として知られています。現在も多くの灯籠祭り、ドラゴンダンス、中国寺院など、中国の要素が色濃く残っています。